NO.6 beyond #1
(原作の最終巻と、beyondのネタバレを含みます。
長編からの続きで、短編や番外編とは繋がっていません。
原作とはやや異なる展開になっています)。




紫苑とネズミが矯正施設へ行ってから、には絶望しかなかった。
NO.6の中に入り、生きて帰れる保証なんてゼロに等しい。
心を開ける友ができたと思ったら、もう奪われてしまう。
最初から一人でいれば、こんな痛みは覚えなかった。
けれど、他者の温かみを知ってしまった今、二人のことを考えると胸が軋んだ。

使魔さんが姿を見せなくなってからは、物資の護衛をする仕事で生計を立てていた。
一般人よりは腕が立つので、物騒な西ブロックでは案外需要があり、金には困っていない。
けれど、いくら貨幣を手にしても、決して満たされることはなかった。

あわよくば、自分も人狩りに紛れて施設へ行こうかと思った。
けれど、二人は何も告げずに行ってしまった。
巻込みたくなかったのだと、そう示されているのだと悟り、は西ブロックに留まっていた。




今日も、は胸の中に空白を抱きつつ、護衛に行く。
その道中で、突然犬が目の前に立ち塞がった。
思わず刀に手をかけたが、それはイヌカシのところの犬だと気付いて警戒を解く。
すると、犬が駆け寄り、袖口を噛んでぐいぐいと引っ張った。

「どうしたんだ?今は急いでるから構ってやれない」
それでも、犬はしきりに袖を引き、一声吠えた。
賢い犬だ、聞き分けのない相手ではない。
「何かあったのか」
尋ねると、犬は袖を離し、先導する。
仕事はさぼってしまうことになるけれど、は胸騒ぎを感じて犬を追った。
その道中で、町中がやけに騒がしいことに気付く。
歓喜の声もあれば、恐怖に怯えるものもある。
奇妙に思ったが、構っている暇はなかった。




はほとんど全速力で犬を追い、イヌカシの住処へ着いた頃には息が上がっていた。
犬の歩みもゆっくりとしたものになり、中へ入る。
「よお、来たのか」
「イヌカシ、どうしたんだ。この子に呼ばれて来たんだけど」
犬は、イヌカシに頭を撫でられて、尻尾を振っている。
イヌカシも機嫌がいいのか、表情がわずかに緩んでいた。

「あの部屋へ行けばわかるさ」
イヌカシが、奥の方にある部屋を指差す。
その前には、物珍しい物を見るように犬が集っていた。
犬達があれほど興味を持っているものは一体何なのだろうか。
まさかと思い、は早足で部屋へ向かった。


犬を蹴飛ばさないようにして中へ入ったとたん、唖然としていた。
目が見開かれ、口が半開きになる。
その口が何かを言おうとするのだけれど、言葉にならなかった。

「・・・
馴染み深い、柔らかな声。
幻聴ではないだろうかと疑った。
「何ぼんやりしてるんだよ、歓迎の言葉の一つもないのか?」
意地の悪そうな表情で、流れるように言葉が告げられる。
そんなよどみのない声を、聞き間違えるはずはなかった。

「紫苑・・・ネズミ・・・」
目の前の二人が、幻影ではないことを願いながら呼びかける。
紫苑がに近付き、そっと手を取る。
ああ、これは夢ではないんだと、実感した。
とたんに、胸の空白が埋まっていく。
二人の姿を見た瞬間、気持ちが緩んだ。

「ばか!」
突然、の口から発せられた言葉に二人は目を丸くする。
「どうして、どうして何も言わずに行ったんだ!僕がどんな思いだったか、教えられるものなら教えてやりたい!
僕は、ずっと、痛くて、たまらなくて・・・!」
感情が、洪水のように溢れ出て来る。
何も知らされないまま置いて行かれて、どれほど悔しかったか。
二人のいない空白の時間が、どれほど虚しいものだったか。
単調な言葉ではとても表せない。
言いたい事は山ほどあるはずなのに、口が動かない。
そこから発せられるのは短い嗚咽だけで、唐突に、目頭から涙が零れ落ちていた。

みっともなくて、は思わず紫苑の肩に額を当てて顔を隠す。
紫苑は、の背に腕を回して抱き留めた。
そこへネズミも近付き、俯いている頭を撫でる。
子供扱いをされているようで気恥しかったけれど、は嗚咽が止むまで紫苑の手を繋いだままでいた。




袖口で目元をぬぐい、が顔を上げる。
目が充血していたけれど、元に戻るのを待っている時間は勿体なかった。
、ごめん。どうしてもきみを巻込みたくなかった」
謝罪の言葉に、はかぶりを振る。
「知っていたら、僕はきっと君達を追いかけていた。それがわかっていたから、教えなかったんだろう。
・・・さっきの言葉は、気にしないでくれ」
二人の気遣いはわかっていたし、ぼろぼろになっている身なりを見ても、どれだけ過酷な状況だったのか想像できた。
けれど、抑えきれなかった。
まるで駄々をこねる子供の様に、自分の主張だけを訴えていた。
そこまで感情を曝け出すことなんて、滅多にない。
それでも、二人の前では素直になっていた。


「さてと、ここであんまりくつろいでいるわけにもいかない。。
壁が崩壊したんだ、俺達は紫苑の母親の所へ行く」
「壁が崩壊した?まさか・・・」
ありえないとは言い切れなくて、は言葉を止める。
ここへ来る途中、街の様子がおかしかった。
歓喜も恐れも入り混じった雰囲気は、壁が破壊さたからではないのか。
それに、二人が真顔でいるのを見ると、壁の崩壊は真実なのだと信じざるをえなかった。

、きみも一緒に来てほしいと思っているんだけど、どうかな」
紫苑の提案を二つ返事で了承しようとしたが、は口をつぐんだ。
親子の感動的な再開の場面に、自分のような部外者がいるのは場違いだと思う。
それに、NO.6で罪を犯した者が再び戻ることは気が引けた。

「親子水入らずの再会の場面に相応しくない、とか思うなよ。。
行くとしてもロストタウンだ、あんたが心配するようなことはない」
ネズミに心情を読み取られて、ははっとする。
その言葉で懸念が消え、図々しくも頷いていた。
そのとき、紫苑のほっとしたような頬笑みを見て、は胸の内が温かくなるのを感じていた。




ざわめきがおさまらない街を抜け、三人は壁へと向かう。
絶対に崩壊しないと思われていた、無機質で冷たい壁には大穴が開いていて、行きかう人々を受け入れていた。
穴を抜けて、NO.6の中へと入る。
以前はこの都市の住人だったとはいえ、はロストタウンには来たことがなかった。
恐らく、NO.6のどこかにいる両親も寄りつかないだろう。
紫苑とネズミは疲弊しているのか、緊張しているのか、口数は少なかった。

先を目指してただ歩いていると、小さな民家が目に止まった。
そのとたん、紫苑が早足になる。
あれが、帰りたくて仕方がなかった自分の家なのだろうと、とネズミも後を追った。


紫苑は扉の前で立ち止まり、気を落ち着けるように深呼吸する。
そして、ゆっくりと、扉を開いた。
中から、バターの良い香りが漂ってくる。

「あら、いらっしゃ・・・」
中に居た女性の声が途中で止まり、幽霊でも見るような目で紫苑を見詰める。
「ただいま、母さん」
そして、瞳からとめどなく零れ落ちた。
女性は紫苑の元へ歩み、その体を抱き締める。
その光景からは強い親子の愛情が感じられて、は優しげな目で紫苑を見ていた。


それから、紫苑とネズミはシャワーを浴びて身なりを整えるよう言われた。
は帰ろうかと思ったが、紫苑の友達だとわかると女性は快く招いてくれた。
先にネズミがシャワーを浴びることになり、は紫苑と一緒に部屋で待っていた。
二人掛けのソファーに座っていると、西ブロックとの雰囲気の違いを改めて感じ、警戒心がなくなっていく。
家に入ったときに嗅いだバターの香りも馴染みの薄いもので、未だに現実味がわかなかったけれど。
隣に居る紫苑を見ると、ネズミの目的は果たされ、全ては終わったんだと実感していた。

「紫苑、その・・・お疲れ様」
何度も死ぬ思いをしただろう、そんな相手にかける労いの言葉にしては簡単すぎることをは言う。
「うん、本当に疲れた」
少しも笑うことなく、紫苑は宙を見る。
その瞳には、どれほど過酷な情景が映し出されていたのだろうか。
詳しく聞くのは酷な気がして、は黙っていた。


「何は、ともあれ・・・君とネズミが、生きて帰って来てくれて・・・本当に、良かった」
さっきはとめどなく言葉が溢れたのに、今はどこかぎこちない。
歓喜の感情に、語彙がついていっていなかった。
「ぼくも、また君と会えてよかった。。
母さんとも再開できて、自分でも、夢を見ているんじゃないかって思う」
紫苑も同じ事を思っていたのかと、は笑みを漏らす。
雰囲気が和らいだのを感じたとき、ふいに、手の甲に紫苑の掌が重ねられていた。
紫苑が身を乗り出し、目を見詰める。
は反射的に身を引こうとしたが、後ろ手をついて、その場に留まっていた。


目を閉じると、すぐ近くに紫苑の息遣いが感じられて。
かすかな吐息を感じた次の瞬間には、唇が触れていた。
表面はひび割れて、かさついていたけれど、その温かみははっきりと伝わってくる。
相手が確かに存在し、生きている証となる、命の温もりが。

とくん、と心音が反応し、その温度を共有できていることを喜ぶ。
恥ずかしくて仕方がない行為のはずだったけれど、今は、暫くの間こうしていたいと思う。
紫苑と口付けているとき、心は安らいでいた。

はそのまま身動きをしないでいたが、扉が開く音がすると、反射的に離れた。
紫苑の母親に見られたら、何を言われるかわかったものではないと、ひやりとしたが。
入って来たのはネズミだったので、胸を撫で下ろした。


「帰って来て早々お熱いな。べたべた触る前に、さっさとシャワーを浴びてきな」
「ああ、わかった」
ネズミに見られたことが恥ずかしくないのか、紫苑はいたって平然としていた。
紫苑が部屋を出ると、ネズミが入れ替わりでソファーに座る。

「ネズミ、君も・・・本当に、お疲れ様。目的は、果たされたんだな」
「まあな」
ネズミも、紫苑と同じくどこか遠くを見る。
以前から、何を考えているのかわからない相手だったけれど。
今の心境も、とても推し量ることはできない。

言葉が続かず、は少し俯いて床へ目を向ける。
すると、ネズミがすぐ傍に来て、肩が触れ合った。
顔を上げると、もう目と鼻の先まで迫って来ていて驚く。

「高貴なナイト、おれにも再会のキスを頂けますか?」
「な・・・あ、あれは、僕からしたわけじゃ」
瞬時に、ネズミはの腰に腕を回して引き寄せる。
言葉の続きは、もう言えなくなっていた。
さっきよりも強く重なり合い、また、心音が反応する。
シャワーで温まった体温が心地良くて、思わず腕を回しそうになるけれど、羞恥心が手を止めていた。

腰元の腕はそのままに、手が後頭部へ添えられる。
相手の自由を奪うためではなく、ただ、その存在を感じるために。
重なり合っていた箇所を、ネズミがわずかに離す。
は自分の中から込み上げてくる熱を解放するように、薄く唇を開いて吐息を吐く。
そのとき、ネズミは再び自らを重ねていた。

離れるのかと思ったとたんに覆われて、は思わず身を引く。
けれど、紫苑の時と同じく、相手を拒むには至らなかった。
唇の隙間から、柔い物が入り込む。
以前にも感じたことのある感触に、心音がひときわ強く鳴った。


ゆっくりとした動作で、同じものが触れ合い、やんわりと絡まる。
その柔らかさを感じると、頬に熱が上っていく。
息を吐こうとするとお互いの呼気が混じり合い、体の芯から熱くなるようだった。

ネズミが身を離し、わずかに伝う糸を軽く舐め取る。
は、虚ろ気な眼差しでネズミを見ていた 。

「今夜は、ここに泊まらせてもらうとするか。歓迎されてるみたいだしな」
「あ・・・うん」
ぼんやりとしたままでいると、ふいに肩に腕が回され、身が引き寄せられる。
ネズミと体が密着して少し焦ったけれど、引き離す気にはなれない。
人の体温は、こんなにも安心するものだっただろうか。
が身を預けるようによりかかると、ネズミはすぐ傍にある黒髪を撫でた。

あやされているようで気恥しくとも、気が落ち着いていく。
目を閉じると、このまま眠ってしまいそうなほど安らいでいた。
そんなとき、扉が開く音がして、は目を見開く。
とっさに離れようとしたけれど、ネズミは逆にを抱き寄せていた。
シャワー室から出てきた紫苑が、二人の様子を見て足を止める。

「ネ、ネズミ」
紫苑の視線を感じて、は身じろぐ。
この光景を見せつけるようにした後、ネズミは腕を解いた。
「今日は、一緒に寝よう。三人でも、ぎりぎりいけると思う」
紫苑は、今の状況を見ていなかったかのように笑う。
微笑んでいたけれど、どこか有無を言わさぬ迫力があって、は黙って頷いていた。




三人は何とかベッドにおさまったが、外側に寝返りを打つと落ちてしまいそうだった。
会話もそこそこに、ネズミと紫苑が目を閉じると、すぐに寝息が聞こえて来た。
よほど、過酷な状況に置かれ、身体共に疲労しているのだろう。
は、二人の寝顔を眺め、一時の幸福感を噛みしめる。

こんな幸せは、恐らく長くは続かない。
ならば、せめて少しでも長い時間を二人と共に過ごしていたいと、切に願っていた。




―後書き―
読んでいたきありがとうございました!
NO.6beyondを読んだらもうたまらなくなって書き上げました。
ここでは多少ネタバレがありましたが、次からはありません。